2005年07月16日

図解 取材源の秘匿? [ vs権力 ]


前回は「取材源の秘匿」を「権力中枢の追及を跳ね返し、取材源の安全と公共の利益を追求するための報道倫理」と、かなり限定的に定義してみた。

ところが、日本の報道界では「取材源の秘匿」という言葉が独り歩きし「どこから情報を入手したかについては誰に対しても明らかにしなくてもいい」というような理解がされているように思う。

このような肥大化した理解でも「権力中枢の追及を跳ね返す」ことはとりあえずできるので、限定的な「取材源の秘匿」を包含しているといえよう。ところが、読者・公共圏と本来は交わすべき「取材源の明示」という原則をないがしろにする恐れがある。つまり、読者からの「取材源の明示」の要請に対し、「取材源の秘匿」で跳ね返すことがあるのだ。

この傾向は、大手メディアほど強い。なぜなら、大手メディアは自らが権威化しているために、情報の質や信用を保証するために読者や視聴者に対して取材源を明示する必要性を感じておらず、自らの権威を担保にしているからだ。つまり「朝日新聞が報道に値すると判断したのだから、報道の内容は正しい。信用しろ」というような態度だ。受け手の方も「取材源は明記されてないけど、朝日新聞が報道しているのだから、正しいだろう」と判断してしまう。

もちろん、大手メディアは、自らの権威を保つためにも、情報源の信憑性は精査しようと努力はしている。しかし、それを読者と共有しようという姿勢は乏しく「○日、わかった」「〜と方針を固めた」というように、どこから情報がもたらされたのか判別がつかない報道を非常に多く垂れ流している。

こうした取材源があいまいな記事に対して、読者が取材源を求めても「取材源の秘匿」を盾に明かさないのは、明らかに肥大化した解釈と言えるだろう。

図のように、「取材源の秘匿」を肥大化させると、読者に伝えられている情報は、果たして告発者が市民としてのアイデンティティーを基礎にして明らかにしたものなのか、あるいは権力中枢が志向する政策や秩序をアナウンスするためのプロパガンダなのか、判別がつかない。

メディア記者からすると、このような肥大化した「取材源の秘匿」があると、取材がしやすい。前回指摘したような、告発者の動機やら読者に対する説明とやらをしなくて済むからだ。ところが、権力側にとっても、こうした肥大化した「取材源の秘匿」は都合がいい。アドバルーンがあげやすいからだ。取材源が明らかにされないのだから、ちょろっと次なる政策を記者に流し、それが記事化されてからの世論の反応を見て次の行動を決めるということがやりやすい。

つまり、図のような肥大化した取材源の秘匿の裏で、権力とメディアはいちゃついていることになる。これを排除するためには、取材源の秘匿とは何なのか、また本来は求められる取材源の明示をどう考えるのかを考えなければならない。

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2005年07月16日

図解 取材源の秘匿 [ vs権力 ]


「取材源の秘匿」という報道倫理がなぜ必要なのかを考える。

ある権力機構内で不正があり、その事実を知る立場にあり、さらにそれを是正したいと考える善良な市民がいたとする。機構人として機構内で是正に向けて努力したり、内部監査や捜査機関へ告発するなど制度的な救済措置を求めたりすることもできる。しかし、時間がかかったり、別の力によって事実が黙殺されたり、あるいは訴訟などの場合は自分の名前を公表しなければ制度を利用できないこともある。

そこで、機構人よりは市民として不正の事実をいち早く多くの市民に伝えなければならないという思いに至ったとしよう。その時に、メディアに告発するという手がある。メリットとしては多くの人間へ瞬時に不正の事実を伝えることができ、訴求力があることだ。ただ、これも自分の名前が公になるというリスクは残る。

ここでメディアが、権力中枢の追及から守ってくれると約束してくれたらたら、少しは安心して情報を伝えることができるだろう。権力中枢の追及を跳ね返し、取材源の安全と公共の利益を追求するための報道倫理を「取材源の秘匿」という。

メディアは、多くの人に情報を伝達することを生業としている。そのとき、自らが伝える情報がいい加減なものではなく、しかるべき情報源を取材した上で記事を書いていることを読者・視聴者に示さなければ、情報の質や信用を保てない。メディアと受け手の間には「取材源の明示」という原則が存在する。

この原則に従えば、不正の告発者であっても取材源を明示しなければならない。ところがそうしてしまうと、権力中枢にも取材源がバレてしまう。読者・視聴者だけには取材源を明示し、権力中枢に対しては秘匿するということが可能であればいいが、それはできない。

そこで次善の策として、報道では取材源を特定できないようにしつつ、その取材源がなぜ信用できるのかを示すことだ。具体的には、告発者の名前や属性は伏せながら、?告発者が不正の事実を知る立場にあること、?メディアを通じて告発しようとした動機、?実名を公表した場合のリスク、などを併せて伝えることだ。つまり、取材源を明示しない場合は、なぜ明示できないのか、その説明が必要になる。

「取材源の秘匿」は、権力からの追及を排除するために用いる論理である。ところが、日本ではこうした理解が不十分なため、漠然とした「取材源の秘匿」が肥大化していることを次回、図解してみたい。

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2005年07月13日

今度の標的は警察庁記者クラブ [ 記者クラブ ]

またまたやってくれました。ジャーナリストの寺澤有氏。昨年は、裁判所における記者クラブの独占的地位は不当だとして裁判を起こした(参照:寺澤有氏の裁判に注目)。今回の標的は、警察庁記者クラブだ。

毎日新聞報道
記者会見:妨害、と国や記者クラブなど相手に仮処分申請 

「警察庁で行われる記者会見など取材機会への出席を妨害され、取材・報道の自由を侵害された」と主張して、ジャーナリストの寺沢有さん(38)と週刊現代の舩川輝樹・副編集長(39)が11日、国と同庁記者クラブ、クラブ加盟15社を相手に、妨害禁止を求めて東京地裁に仮処分を申し立てたと発表した。

申し立てによると、2人は4日、宮城県警の犯罪捜査報償費予算を執行停止した浅野史郎知事に批判的な見解を述べた漆間巌・警察庁長官に取材を申し込み、5日に拒否された。8日午前、警察庁広報室と記者クラブ、加盟社に、記者会見などへの出席を申し入れ、回答期限を同日午後5時に設定。広報室は「会見は定例的に行っていない」と回答し、クラブと加盟社からは回答がなかったとして9日に仮処分を申し立てた。

▽警察庁広報室の話 現時点では事実関係を把握していない。
▽警察庁記者クラブ幹事社3社の話 取材・報道の自由を侵害した事実はない。
寺澤氏と親しいジャーナリスト山岡俊介氏のサイトでも、少し紹介されている。

寺澤氏は数々の警察スキャンダルを暴いてきたジャーナリストだ。いま全国の警察で問題になっている犯罪捜査報償費について実績ある寺澤氏が追及すれば、警察の体質が少しは明らかにされるはずである。警察庁長官vs.寺澤有の対決が実現すれば、かなり注目を浴びるだろう。

警察庁は、鋭い寺澤氏の質問にトップを晒すわけにはいかない。だから取材は断る。その方が公益に適うと判断したのだろう。説明責任を果たさない警察庁のこうした姿勢が妥当か否かは、国民が判断することだ。

警察庁長官と接触する手段を失った寺澤氏は、長官と定期的に接触しているジャーナリスト集団であるはずの記者クラブに会見参加を申し込むが、断られる。寺澤氏はこれを「取材・報道の自由の侵害」と主張した。

さて、この問題をどう考えるか。まず、寺澤氏の取材を拒否した警察庁の判断をどう考えるかである。「宮城県知事も批判する報償費問題について、警察庁長官はもっと説明責任を果たすべきだ」と考えるか、あるいは「警察にもいろいろと事情はあるのだろう。鋭い寺澤氏の取材に応じたらボロが出るから、取材に応じないのは賢明だ」と考えるか。ジャーナリズムの思想からすれば前者の立場になるが、日本国民がそう判断するとは限らない。よって、寺澤氏は自分が書く記事の中で「警察庁には取材を断られた」と記し、その後の判断は読者に委ねればいいのではないだろうか。

次に、記者クラブが寺澤氏を会見に参加させなかったことが「妨害」に当たるかどうか。結論から言えば「妨害」とまでは言えないだろう。寺澤氏は記者クラブを介さずに、独自に取材を警察庁に申し込んでいる。もし、この申し込む行為を記者クラブが介入していれば「妨害」になるだろう。また、記者会見が警察庁の主催で制度化されており、会見への参加資格を私的な団体である記者クラブが介入すれば「妨害」になるが、これもそうではない。今の記者会見は「記者クラブ主催」が建前になっている。つまり当局からすれば、自らの政策についての説明責任を果たす義務もなければ、その必要性すら感じておらず、記者会見を開いているのは、何かとうるさい記者クラブをなだめるための「サービス」という認識なのだ。

いま問題になっている報償費問題について言えば、もし宮城県知事の主張を警察庁がおかしいと感じ、国民の理解を得たいのであれば、寺澤氏を含め、積極的にあらゆるメディアの取材に応じるはずである。

寺澤氏の要請に対し、警察庁広報室は「会見は定例的に行っていない」と回答したという。

ところが、報道では「定例会見」という表現がある(例:毎日新聞)。報償費問題についても、6月30日と7月7日に会見を開いている。つまり、毎週木曜日が定例会見の日ではないのだろうか?

おそらく、官僚特有の屁理屈で、あれは「定例」ではないと抗弁するのだろう。警察庁としては制度的にも運用上も「定例」という認識はなく、ただ記者クラブに対する「サービス」としてたまたま毎週木曜日に開かれているだけだ、というのだろう。

寺澤氏の訴えが無駄だったかと言えば、そうではない。記者クラブは加盟社の取材の自由が確保されれば十分で、雑誌やフリージャーナリスト、さらに国民全体の取材の自由については無関心であることが、今回の件で改めて浮き彫りになった。

もし記者クラブが国民全体の取材・報道の自由のために闘う団体なのであれば、当然、寺澤氏を会見に参加させるべきである。日本新聞協会も「開かれた記者クラブ」を標榜し、外国特派員の会見参加を広く認めているではないか。

警察庁が「寺澤氏を会見に参加させるなら、長官は会見に応じない」と言ってきたら、記者クラブは「ならば、今後警察庁の発表事項は一切報じない。それどころか、警察庁の隠蔽体質について共同キャンペーンを張る」と凄みを利かせればいい。

寺澤氏を会見に参加させ、警察庁長官と直接対決させることは、それ自体「ニュース」だ。国民にとっても大変興味深いものになるだろう。どうしてそういう面白いイベントを実現させないのだろうか?

警察庁記者クラブについて、元TBS記者の田中良紹は「メディア裏支配」(講談社)の中で次のように書いている。

警察庁記者クラブが何のために存在するかといえば、それはメディアが警察のキャリア官僚との人的関係を深めるためである。まもなく社会部長になろうとする人やそれを卒業したいわば大物記者が警察庁記者クラブに配属されていた。警察官僚との人間関係は、取材面だけでなくメディアが何かトラブルに見舞われたときに生きてくる。したがって記者たちの日常は、三々五々幹部の部屋を訪れては雑談をしながら「君子の交わり」をするのである。
警察庁記者クラブは、加盟社だけの「取材・報道の自由」を守る、つまり既得権益を守る業界団体にしか映らない。こうした記者クラブは必要なのだろうか。

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2005年07月12日

メモ:タイムズ記者収監 [ vs権力 ]

タイムズ記者収監は、事実関係が複雑だけに、どう解釈すればいいのか迷う。今でも様々な記事や解説が出てきているのだが、とりあえず頭に浮かんだことを記しておく。

政府が記者に取材源を明らかにするように求めるケースはこれまでもあったが、今回のケースが特殊なのは、ミラー記者は取材をしただけで、記事にしていないのに取材源の開示を求められた点である。

通常のパターンであれば、権力内の不正が報道によって暴かれると、権力は報道の信憑性を打ち消そうとする。そのために記事が載った媒体、記者本人、取材方法などについてマイナス情報を流す。こうした攻撃に最も脆弱なのは、取材源だ。だから、記者は取材源を守る誓いを立てないと、誰も記者に話そうとしなくなる。

ミラー記者が守ろうとしているのは、いつかは不正の告発者となりうる市民との信頼関係だ。権力から取材源の開示を求められても、いついかなる場合でもそうした要請には応じないという姿勢を示すことで、筋を通そうとしている。

ところが、特別検察官や連邦地裁も、不正の告発であれば、取材源を守ることも公益に適うということを認めている。今回のケースは、取材源がCIA工作員の身分をミラー記者に漏らしたこと自体が犯罪行為なのだから、それを立証するために証言してほしい、と要請している。ただ、特別検察官はミラー記者の証言がどれほど重要で、どのような犯罪を立証しようとしているかは、明らかにしていない。

ここからは想像。ミラー記者からすれば、こんな感じだろうか。確かに取材はしたが、読者に伝えるべき内容ではないと判断し、記事にはしなかった。取材で得た情報は、他言していない。取材源をある程度明示することは記事の信憑性を担保するために必要だが、記事にしていないのだから、情報の出所について知りたいという読者の要請にも応じる必要はない。ましてや、なぜ検察官の要請に応じなければならないのか。ここで検察官の要請に応じたら、記事にしていないことまで当局に探りを入れられることになり、検閲につながる可能性がある。

特別検察官:取材の自由や、不正告発のための取材源の秘匿については尊重する。ただ、今回の場合は、具体的には言えないが、犯罪の立証のために必要だ。検察官が不正を糺そうとしているのだから、それに協力するのが国民としての当然ではないか?

ミラー記者:取材源がCIA工作員の身分を私に漏らしたのは、そこだけを切り取れば犯罪行為なのかもしれない。ただ、その情報に基づいて取材を進め、記事になることによって公益に適うことだってあり得る。記者へのリークをいちいち犯罪行為として立証し、しかもそれに記者が協力したら、誰もリークする人はいなくなり、公益は損なわれ、報道の自由は脅かされる。

特別検察官:公益に適っていれば、多少の違法行為も免責されるかもしれないが、今回のケースでは、リークは不正告発ではなく、公益に適っているとは言い難い。CIA工作員の身分をばらすとは、立派な犯罪行為。こうした行為を戒めなければ、世界で展開するCIA工作員の身分が危うくなり、我が国の安全を脅かす。

以上、想像。

さて、国民の立場からすれば、どうか?メディアは、記事にもしていない取材源を当局に差し出し、犯罪の立証に協力すべきだろうか?立証しようとしている犯罪の性質に寄るのではないだろうか?もしミラー記者が、アルカイダに極秘情報を流した政府高官についての情報を得たが、それを記事にせず、代わってそれを立証しようとする特別検察官がミラー記者に証言を求めたら、どうだろうか?でも、この場合、ミラー記者が記事にしないということは考えにくい。

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2005年07月11日

ネタ元づくりは人それぞれ ディープ・スロート考? [ vs権力 ]

多くの記者たちは、独自の情報源を開拓しようと日々努力している。そこで、ワシントンポスト紙のウォーターゲート事件報道で有力な情報源となった「ディープ・スロート」に、ボブ・ウッドワード記者がどうやって接近したかが、記者にとって最大の関心事だった。

結局、ディープ・スロートはフェルトFBI副長官だった。そして、ウッドワードが記者になる前から、二人は知り合いだった。

がっかり。期待していたのは、事件発生後にどうやってディープ・スロートに出会い、信頼関係を醸成した方法についてだ。

ウッドワード記者の経験を参考にするならば、記者になる前の人脈づくりが重要ということになる。

ウォーターゲート事件報道のようなビッグニュースを狙おうとするならば、記者になる前から有力な情報源になるような大物政治家、大企業幹部、政府高官、検察官、キャリア警察官など、ビッグ・ネームと知り合いになれるように努力することだ。

講演会やセミナーへ積極的に出かけ、鋭い質問をしたり、握手を求めたりする。

選挙があれば、大物政治家の選挙事務所でボランティア。政財界に広い人脈を持つ大学教授や評論家に弟子入りする。

急いでマスコミに就職することもない。政治家秘書、自民党本部や経団連の職員になって、政財界の地図を把握し、ある程度のコネをつくる。

人脈をある程度固めてから記者へ。その後も電話やはがきで連絡をとり、休日には会いに行く。ビッグ・ネームの家族とも仲良くなれば、絆は固い。

以上、何だか嫌なイメージの記者だ。しかし、こうすれば確かにビッグ・ニュースはつかめそうだ。

ただ、ウッドワード記者はフェルト副長官と出会ったときは記者になろうとしていたわけではない。将来のネタ元にしてやろうという下心がなかったからこそ、フェルト副長官も親身になってくれたのだろう。

結局、取材源との関係は人それぞれということだ。

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2005年07月11日

混乱する「取材源の秘匿」 [ vs権力 ]

ニューヨークタイムズ記者が大陪審に取材源を明らかにすることを拒否したことから、法廷侮辱罪で収監された。この事件をめぐり、日本でも「取材源の秘匿」について議論が起きている。

7月10日放送のTBSサンデーモーニングで、毎日新聞の岸井成格氏は「取材源の秘匿は絶対原則だ」みたいなことを言って怒っていた。

「取材源の秘匿」についてたびたび考察してきたが、取材源の秘匿は「絶対原則」ではなく、記者が取材源と信頼関係を結ぶための職業倫理で、医師や弁護士に課せられた「守秘義務」に近いものだと思う。

一方でメディアは「取材源の明示」を読者から求められている。伝えている情報がどれくらい信頼に値するのかを判断するためだ。それを無視して安易に「取材源の秘匿」を濫用するとメディアの信頼を落とす。

「取材源の秘匿」は「絶対」ではない。読者、社会、法の要請にも応えなければならず、相対的に考えなければならない。

ワシントンポスト紙のコラムは、記者収監には怒りつつ、こうした事態を招いた報道界にも責任があると指摘する。取材源の秘匿は本来、不正の告発者を守るために使うべきところを、今回はホワイトハウス関係者のリークであり、記者と取材源の関係性について法廷で争うにはあまりいい事案ではなかったという。

このコラムニストも、「記者−取材源関係の特権は絶対ではないことを合意するところから始めなければならない。ちょうど、弁護士と依頼人、医師と患者の関係のようにだ」と指摘する。法廷で争点になったら、取材源の秘匿が公益に適うかどうかで判断されるべきだという。こうした法廷闘争は泥沼化する恐れがあるので、取材源の秘匿を保護する法律を求める。ただ、そうした法律は当分の間成立する見込みはないので、メディアは闘うべき争いを賢く選別しなければならない、と提案している。

このコラムの最後の文章をメモ:

We are not asking for a different category of citizenship from other people, only a chance to do our jobs in a way that serves the public interest.
(我々は、ほかの人とは別類の権利を求めているのではない。ただ、公益に適うように仕事ができる機会がほしいだけだ)
先の岸井氏のように「絶対原則だ」というと、何となく報道人の特権意識を感じてしまう。

朝日新聞社説が「取材源を守る一方で、安易な匿名報道に流されない。私たちは、自戒を込めて、ミラー記者らの戦いを見守りたい」と、「取材源の秘匿」絶対説に立っていないことに感心した。ただ、相変わらず「安易な匿名報道」は多いのだが。

「取材源の秘匿」で検索を欠けたところ、とんでもない記事に引っかかった。

JR福知山線脱線事故報道の検証記事。
「名前や住所をどこで知ったのか」。遺族や負傷者の自宅を訪ねた記者が、そう問いかけられるケースが目立った。犠牲者の顔写真の入手元を明らかにするよう求める遺族もいた。

過去の事件事故の取材に比べ、自身に関する情報の出所にこだわる被害者が多かった。記者は「取材源の秘匿」原則を説明し理解を求めたが、氏名や住所、電話番号などの個人データについて、慎重に管理するよう求められるケースもあった。

4月に施行された個人情報保護法は報道分野は対象外だが、それでも犯罪被害者の権利保護の運動の浸透などとも相まって、個人情報保護に関する関心の高まりを反映しているのは明らかだった。
「取材源の秘匿」は、不正の告発者を権力から守るための倫理と考えるべきだ。その告発者と信頼関係を結ぶために「取材源の秘匿」原則を説明するのはわかるが、これから取材しようとする相手に、個人情報を入手した経緯を隠すために「取材源の秘匿」を盾にするとは。そんな記者とは、とても信頼関係は築けない。

そもそも遺族や負傷者の名前や住所を報道記者に伝えた「取材源」をなぜ秘匿しなければならないのか?個人情報を記者に伝えたことが「違法」になるからか?しかし一方でこの記事は「個人情報保護法は報道分野は対象外」という。ならば、記者に伝えることは報道目的であり、違法にならないはずだ。

事故報道におけるこうした個人情報の取り扱いについては改めて考えたい。とりあえずは、不正告発報道ではなく、被害者報道において「取材源の秘匿」を振りかざすのは問題であることだけは提起しておきたい。

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2005年07月07日

FujiSankei Business i のブログ [ メディアウォッチ ]

FujiSankei Business iが7月4日から「編集局ブログ」を始めた。編集長やデスク、記者が日替わりで執筆するらしい。

意欲的な試みではあるが、テーマが明確でなく、あまり面白くなさそう。そのうち執筆するのが面倒になるのではないだろうか?

輪番制にせず「編集長ブログ」にすればいいのに。編集長がどういう方針で紙面作りをしているのか、編集に当たっての悩み、イチオシの記事、気になるニュース、編集室の出来事などを綴るといい。

コメントやトラックバックに対して編集長が応えれば双方向性が生まれ、ビジネスアイの紙面も充実するのではないだろうか?

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2005年07月01日

「大統領の陰謀」史観を超えて ディープ・スロート考? [ vs権力 ]

「ウォーターゲート事件報道がきっかけで、ニクソン大統領は辞任に追い込まれた」と一般には記憶されている。これはワシントンポスト紙の若き記者、ボブ・ウッドワードとカール・バーンスタインの活躍を描いた映画「大統領の陰謀」によるところが大きい。

当然のことながら、この映画は歴史のある断面を切り取ったものに過ぎない。真実はもっと複雑だ。ニクソンが辞任したのは、当時の政治状況によるところも大きい。単純に記者の功績にするのは、物語としては大変おもしろいが、早計だ。

「大統領の陰謀」が示す歴史観を超えて、様々な角度からこの事件を検証し、歴史の中に位置づけなければならない。ウォーターゲート事件報道を過大評価すると、報道に過剰な期待がかかったり、報道そのものを変質させたりしかねない。

いまの時代にウォーターゲート事件が起きたらどうなるか。NewsweekのIf Watergate Happened Nowでシミュレートされていておもしろい。

連邦議会は上下両院とも共和党が多数派なので、ニクソンは無事に2期目を勤め上げるだろうと予想する。

ワシントンポストが頑張ってスクープを連発しても、FOXテレビなど新しく台頭した保守系メディアやブロガーが猛反撃する。大陪審はウッドワードとバーンスタインに対し、ディープ・スロートの正体を明らかにするように迫る。二人が証言を拒否すると、法廷侮辱罪で収監する。FBI副長官が記者会見を開いて大統領の悪事を暴くが、これも保守の論客たちが「裏切り者」と切り捨てられる・・・。

70年代初頭という時代だったからこそ、ポスト紙の報道は大統領辞任の引き金を引くことができた、ということになる。

「大統領の陰謀」史観に従えば、若い記者2人が、ただ事件の真相を追いかけていたら、いつの間にかホワイトハウスの玄関前に立っていた、ということになる。

ところが、二人を導いたのがFBI副長官のフェルトだったということがわかった。

フェルトの立場から考えてみる。

フェルト副長官はニクソンが嫌いだった。しかも次期長官に自分ではなく、ニクソンの仲間が指名されたことで、厳格に運営されてきたFBIの伝統が失われるのを恐れた。そこで、ニクソンたちが引き起こしたウォーターゲート事件が闇に葬られないように、記者たちにリークした・・・。フェルトが情報を漏らした動機は、まだ完全には解明されていないが、今のところこうした仮説がささやかれている。

最近の日本で言えば、レベルは大幅に劣るが、田中真紀子を外務省から追い出すために、普通は外部に漏れないはずの外相の事細かな言動を、外務官僚たちがリークしていたのに似ている。

ウッドワードの記事では、疑心暗鬼のニクソン率いるホワイトハウスが好き勝手やろうとしているのを、厳格なフーバー長官率いるFBIと忠実な部下だったフェルトが守ろうとしたという構図で描いている。

しかし、フーバーは50年近くもFBI長官の座にいたのだ。しかも、政治家のスキャンダルを調べ上げた「秘密のファイル」を作成し、自分を追い出そうとする歴代大統領に対しては、そのファイルで牽制したと言われる。

選挙で選ばれた大統領さえも脅すFBI。その省益ならぬ「局益」を守るために、フェルトは「ディープ・スロート」になった、と見ることもできる。

ニクソンから見れば、FBIという不気味な組織にいるフェルトという官僚の抵抗に遭い、ポスト紙はそれに力を貸したことになる。

ウォーターゲート事件報道の中で、あるいは遅くとも記者二人の共著「大統領の陰謀」のなかで、ディープ・スロートの正体が明らかになっていれば、また違った歴史の展開があったかもしれない。FBI副長官が報道の情報源だったことを公衆が知らされていなかったこれまでの展開と、知らされていた別の展開。どちらが良かったのかは、それこそ後生が振り返って判断することだ。

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2005年06月21日

背筋が寒くなる「実話」 [ vs権力 ]

恐ろしい「実話」が札幌から ニュースの現場で考えることにあった。これは、実に恐ろしい。

昨秋、ある警察担当記者が、事件関係者の自宅を取材しようとしたところ民間警備員に呼び止められ、さらに警察官に連行され、住居侵入罪違反で書類送検され、不起訴になる。しかし、この記者が働く新聞社は特に抗議もせず、記者を警察担当から外し、さらに処分して、事件をうやむやにしようとしている。

人権擁護法案を審議中のときは、さんざん「報道の自由が萎縮する」と騒いでいた報道機関が、勝手に萎縮している。恐ろしいことである。

では、どうすべきだったのか?

【当該記者】
警察官に連行されそうになったとき「これは任意ですか、強制ですか?」と確認する。

任意ならば「私は新聞社の業務中なので、社の上司や弁護士とともに後で署に伺います」と言う。

強制ならば、とりあえずは拒否する。それでも連れて行こうするならば勾留理由、被疑事実を問いただす。

警察官が調書を作り始めようとしたら、とりあえずは「弁護士と相談した上で」と拒否する。それならば逮捕すると脅されたら「どうぞ、逮捕してください。そして速やかに記者発表してください」と要望する。

この記者は警察担当記者として「仲間意識」があって、警察に心を許してしまったようだが、警察と検察は違うということを理解していなかったようだ。警察が「これぐらいは、ま、いいか」と思っていても、検察が「いや、しょっ引け」と言うかもしれない。逮捕されたら、すべてが「敵」と思わなければならない。

【記者が所属する新聞社】
記者の連行が、任意か強制かを確認する。

任意であれば「後日、弁護士とともに署にいきます」と言う。

強制であれば「速やかに記者発表してください。また、被疑事実、勾留理由を明らかにしてください」と言う。すぐに弁護士をつけ、闘いに備える。

正式に「逮捕」となれば、弁護士を通じて面会を求め、本人が被疑事実を否定していれば、抗議文を発表する。

(6/22追加:始)
翌日の1面トップに「本紙記者 取材中に逮捕」「住居侵入容疑」「取材の自由侵害のおそれ」という見出しで報じる。編集長の抗議論文も掲載する。社会面も大幅に割いて、メディア研究者、ジャーナリスト団体、他マスコミの声を載せる。
(追加:終)

【記者が所属する記者クラブ】
一連の出来事の後でも、事実関係を調べた上で、クラブとして公式に警察に抗議する。

市民から「権力監視」を負託されている以上、記者や報道機関は、権力行使に対しては徹底的に抵抗する必要がある。しかし、この「実話」では、徹底的に権力に従ってしまっている。こんな報道機関は、存在理由がない。

この記者が所属する記者クラブも、存在理由を失っている。仲間の記者が、不当な理由で担当を外されていたのだとすれば、徹底的に抗議すべきであろう。記者クラブは何かと問題が多いが、当局に対する「圧力団体」としての意義が一番重要である。その圧力をかけないのであれば、解散したほうがいい。

今からでも遅くはない。記者クラブは事実関係を調査した上で、警察に抗議すべきである。

この記者も「おかしい」と思っているならば、まずは社内で同じように「おかしい」と思っている記者を集め、社に働きかけるべきである。それで埒があかなければ、記者クラブに訴え、それでもダメであれば、勝手に記者会見を開くことだ。

この「実話」は放置できない。おそらく、今ごろ検事の間では「そうか、うるさい記者がいれば、住居侵入で引っ張ればいいのか」という話が出回っているに違いない。

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2005年06月19日

ディープ・スロート? [ vs権力 ]

ディープ・スロート?のつづき

センティネル紙での一年間、私はフェルトの事務所や自宅に電話して、連絡を取り続けた。ある意味で友人になり始めていた。彼が指導役で、トイレットペーパー捜査に深入りしないように注意してくれ、私もアドバイスを求めた。ある週末、私はバージニア州にある彼の自宅を訪れ、妻のオードリーにも会った。

ある意味で私には驚きだったのだが、フェルトはJ・エドガー・フーバーを尊敬していた。 フーバーの規律正しさ、厳格な手続きと鉄拳をもってFBIを運営するやり方を評価していた。フーバーが毎朝6時半に登庁することを、フェルトは評価していた。皆は何を求められているのかがわかっていた。フェルトは、ニクソンのホワイトハウスはちょっと違う問題で、具体的には言わなかったが、政治的圧力は計り知れないと言った。彼は「堕落している」、たちが悪いなどと言ったように思う。フーバー、フェルトと古参連中が、FBIを守る壁になっていたと彼は言った。

彼の回顧録「FBIピラミッド:内部から」は、リチャード・M・ニクソンが辞任した5年後の1979年に出版されたが、そのときはほとんど注目されなかった。その中で彼は怒りを込めてこれを「ホワイトハウス・法務省陰謀団」と呼んだ。

ウォーターゲート事件前のそのころ、ニクソン政権とフーバーFBIの間で、多方面で押し合いや、あからさまに批判し合っていたことは、一般にはほとんど知られていなかった。後にウォーターゲート事件の捜査で明らかになるのだが、1970年にトム・チャールズ・ヒューストンという若いホワイトハウススタッフが立案した計画では、CIA、FBI、軍の情報部に権限を与え、「国内安全への脅威」に対する電子的監視を強め、私信の違法な開封を許し、情報収集のための侵入の規制を撤廃しようとした。

ヒューストンは、極秘メモで計画は「明確に違法だ」と警告した。しかし、ニクソンは一旦は計画を承認した。フーバーは強硬に反対した。盗聴や私信の開封、国内安全の脅威となる住宅やオフィスへの侵入は、基本的にFBIの管轄であり、競合は望んでいなかったからだ。四日後、ニクソンはヒューストンの計画を撤回した。

多くの人が知るよりもフェルトは博識で、後に書いた文章でヒューストンを「諜報界の上に君臨するgauleiterのような人」と記した。 「gauleiter」という単語は多くの辞書には載っていないが、厚さ10センチのウェブスター英語大百科事典によれば「ナチス支配下にある政治地区のリーダー、または首長」と定義されている。

フェルトがニクソンの集団をナチスだと思っていたことは間違いない。この時期、彼はFBI内の同僚が行っている活動をやめさせなければならなかった。例えば、ロサンゼルス地区にある「ヒッピー共同体の構成員をすべて特定すること」や、民主社会学生同盟の構成員すべての調査票を作ることなどだ。

こうしたことは、私との間で直接話題にはならなかったが、彼は明らかに圧力を受けていた。FBIの潔白さや一体性が現実に脅かされており、彼の頭の中で最重要課題のようだった。

1971年7月1日、フーバーの死とウォーターゲートへの侵入の1年前、フーバーはフェルトをFBIのナンバー3に昇進させた。建前ではフーバーの腹心であるクライド・トルソンがナンバー2の高官だったが、トルソンも病気を抱えていてあまり仕事に来られず、FBIを運営する力がなかった。よって、私の友人がFBI全般について日々の管理者となり、フーバーとトルソンには絶えず報告し、政策判断ではフーバーの許可を得ていた。

8月に、私の無惨な試用期間から1年を経て、ローゼンフェルトは私を雇ってくれた。翌月ポストで働き始めた。

新しい仕事で忙しかったが、時々連絡をとる人たちのリストにフェルトを載せ、時々彼に電話した。彼は比較的率直だったが、私が記事に間接的にでも引用したり、ほかの人に情報を伝えたりする際にFBIと司法省の名前を伏せることを強く求めた。彼は大きく強い声で、そうしたルールに厳格だった。私は約束した。彼はとても重要なことなので気をつけるようにと言った。これを確かなことにするには、互いに知り合いであることや会話したこと、私がFBIか司法省の誰かと知り合いであることを、ほかの誰にも明かさないことだった。誰にも、である。

次の春に、彼は絶対の自信でスピロ・T・アグニュー副大統領が2500ドルの賄賂を現金で受け取り、机の引き出しに入れたという何らかの情報をFBIが掴んでいると言った。私は情報源を全く明かさずに、この情報をポスト紙のメリーランド州担当のエース記者であるリチャード・コーエンに伝えた。コーエンは「ばかげたことだ」と思うと言い、後にアグニューの捜査に関する本でもそう書いた。私ともう一人のポスト紙記者は、賄賂について知っているであろうという人物を一日かけてボルチモアを追い回した。しかし、どこにも行き着かなかった。2年後、アグニューの捜査で副大統領はオフィスでそうした賄賂を受け取っていたことがわかった。

1972年5月2日の午前9時45分ごろ、フェルトのFBIオフィスに次官補が入ってきて、フーバーが自宅で死んだことを伝えた。フェルトは呆然とした。実質的な意味で、次にFBIを率いるのは彼だった。

しかし、すぐにフェルトには大きな失望が訪れる。ニクソンはL・パトリック・グレイ三世を長官代理に指名した。グレイはニクソンの長年の支持者だった。1960年に海軍を除隊し、ジョン・F・ケネディに敗れた大統領選でニクソン候補のために働いた。

フェルトが打ちひしがれていたのがわかった。しかし、何食わぬ顔をしていた。「もっと賢ければ、引退していただろう」と彼は記した。

5月15日、フーバーの死去から2週間もしないうちに、ある銃を持った男が単独で、ローレルのショッピング・センターで大統領選に向けて遊説中だったアラバマ州知事のジョージ・C・ウォレスを狙撃した。重傷を負ったが、命は取り留めた。

ニクソンにとって支持が増えつつある深南部で、ウォレスは強固な支持を得ていた。4年前の68年の大統領選では、ウォレスに票を食われたニクソンが落選する可能性もあった。そこで、1972年の大統領選が近づくにつれて、ニクソンはウォレスの動きを逐一監視した。

その夜、ニクソンは市内にいなかったグレーではなく、フェルトの自宅に電話し、最新情報を求めた。フェルトにとってニクソンと直接話すのは、これが初めてだった。暗殺者になりそこねた男、アーサー・H・ブレマーは拘留中だが、ウォレスを撃ったあと、彼を押さえ込み、捕まえた人たちによって乱暴され、多少の傷を負ったために入院していることを報告した。

「それにしても、あのクソ野郎を本当に乱暴しなかったのは残念だな」とニクソンは言った。

大統領がそんなことを言うことに、フェルトは不快感を覚えた。ニクソンは非常に興奮し、心配しており、狙撃事件をきわめて重大視して、ブレマーの捜査でわかった新しい情報はすべて30分ごとに報告してほしいと言った。

それから数日間、私は何度もフェルトに電話した。私たちがブレマーについてより多くを知ろうとする中で、フェルトは慎重に私に手がかりを与えてくれた。ブレマーはほかの候補者もつけ回していたことがわかり、私はニューヨークに行ってブレマーの足跡をたどった。こうしてブレマーの行動に関する一面記事がいくつも生まれた。ウォレスを例外とせずに、大統領候補を探し出して狙撃するというある気違いの男という横顔を描いた。5月18日に、私は一面の記事の中で、「ウォレス狙撃の捜査記録を読んだ政府高官は昨日、ブレマーが雇われた殺人者だったと示す証拠はまったくなかったと話した」と書いた。

私はやや厚かましかったのかもしれない。表向きは自分の取材源を守り、フェルト以外にも取材していたのだが、あまり情報源をうまく秘匿できたとは言えなかった。フェルトはやんわりと私を注意した。だが、ブレマーが単独犯であり、共犯がいなかったという事実は、ホワイトハウスもFBIも出したがっていた。

1カ月後、6月17日土曜日に、FBIの夜勤者がフェルトの自宅に電話した。ビジネススーツ姿、ポケットに100ドル札紙幣を詰め、盗聴と撮影機具を持った5人組が、ウォーターゲートのオフィスビルにある民主党全国本部で午前2時半に逮捕された。

8時半までに、フェルトはFBIのオフィスに入り、詳しい情報を探った。同じ頃、ポスト紙の市内版デスクが私の自宅に電話し、珍しい侵入事件を取材するために出社するように頼んだ。

次の日、ポスト紙の一面に載った最初の段落は次のように報じた:「元CIA局員であるという1人を含む5人組の男が、昨日の午前2時半に逮捕された。当局は、民主党全国委員会の事務所を盗聴するための計画的な犯行だと説明した」

その翌日、カール・バーンスタインと私は一緒に最初の記事を書いた。侵入犯の1人はジェームズ・W・マコード・ジュニアで、ニクソンの再選委員会で警備担当者として雇われていたことを特定した。月曜日に、私はE・ハワード・ハントについて調べ始めた。彼の名前は犯人の2人が持っていた住所録に載っていて、横には「Wハウス」や「W・H」という表記があった。

こうした時は、捜査当局内にいる取材源や友人は極めて役に立つ。私はFBIに秘書を通じてフェルトに連絡をとった。ウォーターゲートについて最初の会話になる。彼はオフィスに電話されることが嫌であることを指摘したが、理由は説明できないがウォーターゲートの侵入事件は「熱くなる」と言った。そして突然電話を切った。

翌日、ウォーターゲートの盗聴話について記事を書く仮の担当者として私が指名されたが、何かネタがあるかどうか自信がなかった。カールは休みだった。私は電話を取り、456−1414、ホワイトハウスに電話し、ハワード・ハントにつないでもらうように頼んだ。応答はなかったが、オペレーターは親切にも、ニクソンの特別顧問であるチャールズ・W・コルソンのオフィスにいるかもしれないと言ってくれた。コルソンの秘書は、ハントはいないと言った後、ライターとして働いていたPR会社にいるかもしれないと言った。私はそこへ電話し、ハントをつかまえた。そしてウォーターゲートの犯人2人の住所録に、なぜあなたの名前があるのかを聞いた。

「まさか!」と叫んで、ハントは電話をガチャンと切った。私はPR会社の社長で、今は共和党のユタ州選出上院議員であるロバート・F・ベネットに電話した。「ハワードがCIAにいたことは秘密ではないと思う」と穏やかに言った。
しかし、私の知らない秘密だった。CIAの広報担当者はハントが1949年から1970年まで職員だったことを認めた。もう一度FBIにいるフェルトに電話した。コルソン、ホワイトハウス、CIA、と私は言った。私は何を掴んだのだろうか?住所録に誰かの名前が載っていることは、誰にだってある。連座については慎重でいたかった。

フェルトはいらいらしているように聞こえた。彼はオフレコで、つまりその情報を使ってはならないという意味だが、ウォーターゲートでの侵入事件でハントが主犯と見られているのは、住所録以外にも多くの理由があるということを明かした。つあり、関連性を前面に押し出して報じることは、不当なことではない。

7月にカールはマイアミに行き、金の流れを辿って侵入者4人の自宅を訪ねた。そのうちの一人、バーナード・L・バーカーの口座にあった8万9000ドルのメキシコの小切手と2万5000ドルの小切手のコピーを持っていた地方検察官とその捜査主任をうまく突き止めた。2万5000ドルの小切手は、ニクソンの中心的な資金調達者であるモーリス・H・スタンスにフロリダのゴルフ場で渡された選挙資金であったことを解明した。8月1日の記事は、ニクソンの選挙資金を直接ウォーターゲートに結びつける最初の記事となった。

私はフェルトに電話したが、彼は電話に出なかった。バージニア州の自宅にもかけたがだめだった。それである晩、フェアファックスの自宅を訪ねた。シンプルで、完璧に整えられ、すべてがあるべきところにあるというような郊外の住宅だった。彼の態度は私を不安にさせた。彼は電話も、自宅への訪問もなし、公の場では何もなしだと言った。

そのころ私は、フェルトがFBIで勤め始めた第二次大戦中、諜報部門の総括担当として働いていたことを知らなかった。フェルトは仕事を通じてドイツのスパイ活動について多くを学び、戦後はソビエトの諜報員と思われる人たちを監視する仕事に時間を割いた。

その夏、バージニアにある彼の自宅でフェルトは、もし私たちが話すとしたら、私たちを観察できないようなところで面と向かわなければならないと言った。

私としては、何でもかまわないと言った。

事前に練られた通知システムが必要だ。身の回りの変化で、誰にも気づかれず、誰も意味を付加できないようなものだ。私は何のことかわからなかった。

君がアパートのカーテンをいつも閉めているのであれば、それを開ければ、私へのサインになると彼は言った。それを毎日チェックし、あるいはチェックしてもらい、開いてれば、その夜に指定された場所で会うことができる。私は、時々光を入れることがある、と説明した。

別のサインが必要だと彼は言い、私のアパートを定期的にチェックできることを指摘した。どうやってチェックするのかは、彼が説明することはなかった。

若干の圧力を感じつつ、私は30センチ四方弱の赤い布、ちょうどトラックで規定の長さを超えた貨物を運ぶとき警告として使うようなものを持っていると告げた。私のガールフレンドが道ばたで拾い、私のアパートのベランダにある花瓶に突っ込んでいた。

フェルトと私は、すぐに会う必要があれば、布が突っ込まれた花瓶を、いつもある手すりの近くから、ベランダの奥の方にずらすことを決めた。こうするのは重要な時だけで、時々でなければならないと彼は厳しく言った。サインの意味は、午前2時ごろにロズリンのキー橋近くにある地下駐車場の最下階で会うということだった。

フェルトは私に、対監視術を忠実に実行しなければならないと言った。どうやってアパートから出るのか?

私は部屋を出て、廊下を歩き、エレベーターに乗った。

そのエレベーターはロビーに出るのか?と彼がきいた。

はい。

アパートに裏階段はあるか?

はい。

会うときはそれを使え。それは路地に出るのか?

はい。

その路地を歩け。自分の車を使うな。真夜中以降もタクシーが客待ちしているホテルから数ブロック乗り、降りてしばらく歩いて2つ目のタクシーを拾い、ロズリンに迎え。駐車場の前で降りるな。最後は数ブロック歩け。跡をつけられていたら、駐車場に入るな。君が現れなかったら、事情を察知する。すべては講義のようだった。ポイントは必要な時間をかけること、1、2時間かけて行くということだった。我慢し、落ち着け。事前の手順を信用しろ。万が一の場合に備えた別の会合場所や時間はない。二人が現れなかったら、会合はない。

もしフェルトが私に何かあれば、伝えることができると彼は言う。私の毎日の行動、アパートに届くもの、郵便ポストなどについて聞いてきた。ポスト紙は、自宅アパートの玄関先に届けられていたが、私はニューヨークタイムズも購読していた。デュポン・サークル近くにある私のアパートには、タイムズ紙をとっている人が数人いた。それらはロビーに置かれ、部屋番号が振られていた。私の部屋は617号で、いつも表にマジックではっきりと書かれていた。もし重要な情報があれば、そのニューヨークタイムズに印を付けることができるとフェルトは言った。その方法については、私はわからなかった。20ページ目に○印をつけ、そのページの下の方に時計の針を描き、その夜のロザリンの駐車場での会合時間を、だいたいは午前2時だったが、指していた。

関係は信頼の契約に基づく。会話の内容はほかの者にも伝えてはならない、と彼は言った。

彼が私のベランダをどうやって毎日観察できたかは、私にとって未だに謎だ。このころはまだ徹底的な警備がない時代で、アパートの裏側は閉じられておらず、誰でも裏道に車で入って私のベランダを観察することができた。さらに、ベランダがあるアパートビルの裏側は中庭に面していて、ほかのアパートやオフィスビルとも接していた。想像するに、私のベランダはいくつものアパートやオフィスから見えたということだろう。

その地区にはいくつかの大使館があった。イラク大使館は通り沿いにあり、FBIは近くに監視所か盗聴拠点を設けているかもしれないと思った。フェルトは対敵諜報員を定期的に私の布や花瓶の状態を報告させていたのだろうか?極めてありそうもないことだが、不可能なことではない。

こうしたことやほかの会話の中で、私が彼にまとわりつき、うるさくせがんでいたことをやや弁解していた。しかし、私にはほかに頼れる人がいなかった。私とカールは、ニクソンの再選委員会で働いていた全員のリストを手に入れ、この人たちを取材しようと毎晩のように自宅の扉を叩いて回っていた。多くの取材先では面前でドアを閉められていることをフェルトに説明した。多くの人たちはおびえた表情をしていた。私は落胆していた。

フェルトは私に、自分をせっつくことがあっても気にすることはない、と言った。彼もまた現場の捜査員として人に聞き込みしたことがある。FBIも、報道機関のように自発的な協力に頼っている。多くの人はFBIに協力したいが、断られることもある。おそらくフェルトが私の攻撃的で押しの強い姿勢を大目にみてくれたのは、彼ももっと若いころは同じだったからであり、ある時フーバー長官とうまく面会できて、FBI支局を率いる特別捜査官になりたいという希望を伝えたことがあるほどだった。

自分を挑発せよと私に強く促すという、変わったメッセージだった。

ウォーターゲートのように心惹かれ、複雑で、展開が速い事件では、取材源の動機まで考える雰囲気や時間はなかった。重要だったのは、情報が裏付けられ、事実だったかどうかだ。 我々は激流ので泳いでいた。いや、そのただ中を生きていた。取材源がなぜ私たちに話すのか、下心があるのかどうかを自問する時間はなかった。

カールと私が多頭獣であるウォーターゲートを理解しようとしているときに、フェルトが私にくれた断片的な情報や確認、支援はどれも非常にありがたかった。捜査の主導期間の事実上トップという地位のために、彼の言葉や指導には圧倒的な権威があり、時にうろたえるほどだった。彼の重要さ、正確さと抑制は、彼の意図、もしあればのことだが、よりも重要だった。

ニクソンが辞任した後、フェルトが自身やFBIにとって多大な危険を冒してまで、なぜ私に話したのかについて疑問に思い始めた。もっと早く表に出ていれば、フェルトは英雄にはならなかっただろう。厳密に言えば、大陪審にかかわる情報やFBI資料について話すことは違法、あるいは違法に見せかけることは可能だった。

フェルトはFBIを守っていると信じていた。人目のつかない方法ではあったが、FBIの捜査や書類からの情報のいくつかを公にすることで、ニクソンとその取り巻きが対応するように一般的、政治的な圧力を構築しようとしていた。彼はニクソンのホワイトハウスと、政治的理由でFBIを操作しようとしたことに対し、軽蔑以外の感情はなかった。ジョン・W・ディーン三世などを筆頭に、ホワイトハウスの若い張りきり屋の下っ端たちを、彼は憎んでいた。

フェルトはフーバー本人と、その厳格なFBI運営の手腕を尊敬していたので、長官にグレーが指名されたことは、それだけいっそう衝撃的だった。フェルトは明らかに自分をフーバー長官の実質的な後継者だと考えていた。

第二次大戦での元スパイ追跡者は、ゲームを気に入っていた。彼の中で私は彼の諜報員だったのだろう。彼は私の頭に叩き込んだ:秘密は絶対、余計なことは話すな、彼の身分については全く話すな、秘密の情報源が存在することさえ誰にも示すな。

我々の著書「大統領の陰謀」で私とカールは、ディープ・スロートについてと、彼が情報を小出しにする方法について推察した。リスクを最小限にとどめるためだったのかもしれない。 大きなネタの一つや二つは、それがいかに破壊的であったとしても、ホワイトハウスにより弱められたかもしれないからだ。あるいは、ただ単にゲームをよりおもしろくするためだったのかもしれない。おそらく「ディープ・スロートはFBIを守ろうとしていたのであり、すべてが失われる前に運営方法に変化を与えようとしていた」と我々は結論づけた。

この質問をするたびに、フェルトは同じ答えを返した。「これは私のやり方でやるしかなかったんだ」

(了)

Posted by hal at 2005年06月19日 | コメント(5) | Trackback(0)