Magnum masse

モーリス・ドニ


モーリス・ドニ
「ピロウとシンボルゥ」
1900-1903年 
ギャラリー ベレス 所有




left「デペシュトワ−トゥールーズ」
ポスター習作 「急いで!トゥールーズに?」 
ギャラリー ベレス 所有

「エンジェル」 年代不詳
ブラウアー美術館所蔵(バルパライソ大学センター)





「マダム・ランソンと猫」 1892年
モーリス・ドニ美術館 (ル・プリウレ美術館)
ポール・ランソンの夫人だろう。


左が「春の森林」年代、所蔵不詳
 



「イースター・ミステリー」 1891年 シカゴ美術館
この作品と同名、もしくは「イースターの朝」とされている作品もある。


モーリス・ドニ関連記事
*ピエタ
*バッカス祭
*エマオの晩餐
*受胎告知/壁画
*セザンヌ 礼賛
↑作品中に描かれているセザンヌの「果物鉢のある静物」にリンク、ドニの模写、勘違いしていたセザンヌの作品などの画像が追加。
*庭園を行く少女たち
*モーリス・ドニ 天国
*永遠なる春/六月の春
*アムール表紙/木の葉の階段
*無題 水彩リトグラフ/春景色
*塔の花嫁 ペレアスとメリザンドから
*ゴーギャンの黄色いキリスト ドニの黄色いキリスト
*ドニ ポートレート/アムール リトグラフ/ 他リトグラフ
*モーリス・ドニ クピドとプシュケの物語 七つの作品
*習作 春の森/"Trestrignel"海岸の浜辺/緑の木/オルフェスとエウリュディケ(エウリディーチェ)


コメント(0)| Track back(15) | 2007-04-04

ジュリー・マネ
モリゾがはやくにデッサンしていた、「猫を抱くジュリー」だ。

きっとルノワールもこのデッサン画をみていたのだろう。モリゾがルノワールに制作を依頼した作品の「ジュリー・マネ」は、現在オルセー美術館展で展示されている。

ルノワールもモリゾも、ジュリーとタイトルには含まないが、彼女を描いた作品も多い。たとえばルノワールの「読書をする二人の少女」もジュリーとその従妹である。

モリゾの姉妹イヴ、エドマの二人がいるが、エドマの娘のジャンヌ(だったかな)と思う。


ルノワールのジュリー、そしてモリゾのジュリーは、下記サイトをご覧ください。9点ほど、二人の描く肖像画「ジェリー・マネ」が、テキストリンクを含めて掲載。

mari-note
マドモアゼル ジュリー・マネ



さて、次の作品も、モリゾとルノワールによるジュリーと母モリゾの肖像画だ。左がモリゾの習作(1887年)で、右がルノワールの作品「ベルト・モリゾとその娘ジュリー」だ。


ルノワールも病気で老化がはやかったが、まだ50代のモリゾは白髪。この翌年に、肺炎で亡くなるのだが、美貌と知性に溢れていた、マネの作品「すみれのブーケをつけたベルト・モリゾ」の面影がない。

このベルト・モリゾの作品の1枚が、楓のブログでみることができる。「(黒衣の)女性」というシンプルなタイトルだが、楓は黒衣と足している。モリゾとも思えるような女性だが。

「黒衣の女性 ベルト・モリゾ」

モリゾの優しげな美しい女性を描いた作品と比べると、この「(黒衣の)女性」の堂々としたさまは、なんだろう。1875年頃の作品だから、マネの弟 ウジェーヌと結婚した翌年だ。

さて、ジュリー・マネにもどるが、モリゾの「ゆりかご」(オルセー美術館所蔵)よりも優しげな作品がある。看護婦と生まれたばかりのジュリーが描かれている。


「ジュリーと白衣の天使」 1880年頃 ニュー・カールスベア美術館



「ヴァイオリンを弾くジュリー」 1893年 個人所蔵

ヴァイオリンを弾くジュリーの習作では、左側の白い壁、あるいは柱、カーテンかは描かれていない。読み書き、ピアノのレッスン、読書などのジュリーが作品化されているが、のちに、ジュリー自身も絵画の作品を残している。

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19世紀の写真と絵画 ルノワール
マドモアゼル ジュリー・マネ

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黒衣の女性 ベルト・モリゾ
画家の姉 エドマとその娘ジャンヌ



コメント(0)| Track back(4) | 2007-03-10

サンドロ・ボッティチェリ 聖母子

Madonna in Glory with Seraphim 
1469-70年 BOTTICELLI, Sandro
「セラフィムの栄光の聖母子」 
サンドロ・ボッティチェリ ウフィッツィ美術館

ボッティチェリのデビュー作「剛毅」が描かれた年の作品である。初期の作品で、まだ「独立した画家」ではない頃だ。


右  The Last Communion of St. Jerome 1490年 メトロポリタン美術館
中央 Vierge à l'Enfant dite Vierge à la Grenade ウフィッツィ美術館
左  Madonna of the Rosegarden (Madonna del Roseto) 1469-70 ウフィッツィ美術館

右は、聖母子じゃない。「St. Jerome 聖ジェローム (St. Hieronymos, 聖ヒエロニムス) の最後の晩餐」だ。中央は、「柘榴の聖母」で、1487年の作品と同様のタイトル。幼子イエスは両手で柘榴を持っている。左は「柘榴の聖母子」(1487年)のように柘榴が描かれている、「薔薇園のマリア」。聖マリアが手にしているのが柘榴。聖マリアの背景には「薔薇」の花。ロザリオを象徴しているのだろうか。


左上 Madonna del Libro 1480年 ミラノ・ポルディ・ペッツォーリ美術館
右上 Madonna of the Rosegarden (Madonna del Roseto) 1469-70 ウフィッツィ美術館
左下 Madonna and Child (Madonna della Loggia) 1467年 ウフィッツィ美術館
左上 Virgin and Child with John the Baptist ルーヴル美術館

左上は「書物の聖母」(1480年)。マニフィカトの聖母 (Madonna del Magnificat 讃歌を書くマリア 1483-85年頃)の作品は、この「書物の聖母」を表現をかえて描いているのか。「書物の聖母」の左肩に金刺繍があるが、ボッティチェリの「聖母子」シリーズの聖マリアには、同じように描かれている作品がある。トンド形式の「MADONNA CON BAMBINO E SAN GIOVANNINO」すごく気になる。マリアの時祷書から、読み書きを教えているのだが、幼子の左手が気になる。伏目のマリアも左手をみているのではないか?右上は「薔薇園のマリア」を拡大したもの。左下は、初期の「聖母子」。右下は「聖母子と聖ヨハネ」。

とにかく多数あるサンドロ・ボッティチェリの聖母子。僕が選んだのは、この7枚だ。

サンドロ・ボッティチェリ 関連記事

The_virgin_adoring_300

XAI サンドロ・ボッティチェリ ヴィラ・レンミ
ボッティチェリ ユディト
サンドロ・ボッティチェリ 
聖母子と聖ヨハネ/聖母子と二天使
十字架の死−懺悔するマグダラのマリアと天使
サンドロ・ボッティチェリ Sandro Botticelli
キリストの試練/反逆者たちの懲罰
モーセ の 試練/聖シクストゥス2世像
ナスタジオ・デリ・オネスティの物語 第1〜第4の挿話
聖ゼノビウス伝からの四つの場面
ヴァージニア/ルクレティア/誹謗
サンドロ・ボッティチェリ Virgin and Child  聖母子(トンド スタイル)
サンドロ・ボッティチェリとギュスターヴ・モロー
「ボッティチェリ 模写 ヴィーナスの誕生」1859年 モロー
「ヴィーナスと三人の小さきもの」 サンドロ・ボッティチェリ
「ヴィーナスとマルス」1483年 サンドロ・ボッティチェリ
ボッティチェリ 至福の花々 (サンドロ・ボッティチェッリ)
ヴィーナスの誕生 / ( アフロディテ・アナデュオメネ by アペレス)
酔い 果実酒の寓話 / 聖母子と八天使
ヴィーナス / ウェヌス(ヴィーナス)・プディーカ
春(ラ・プリマベーラ)/ ミネルヴァ(パラス)とケンタウロス




コメント(0)| Track back(7) | 2007-03-01

ギュスターヴ・モロー 未完のようなサロメ そしてエボーシュ

サロメと斬首される聖ヨハネ ギュスターヴ・モロー

サロメの衣装で、モローの雰囲気がでているが、全体の作品像として未完、あるいはエチュード(習作)のような作品である。上の間を大きくとり、人物像をあえて小さく描き、独特の戦慄を覚えてしまう。

さて、下に並んだ作品は、左が「サロメ」である。ギュスターヴ・モローのサロメだ。ヘロデ王の前で踊るサロメと同じように、二柱の間にヘロデ王がいる。

半具象的な抽象画に近い描き方で、未完のようでもある。この左側の「サロメ」的な描き方の作品に、モローは、タイトルにエボーシュとつけ加えている。エボーシュは、下絵や粗略画をさす。だが、この「サロメ」は、「エボーシュ サロメ」というタイトルではない。もちろんエチュードでもない。

左はモローの「エボーシュ」という作品である。下描きとしてのエボーシュ、下絵としてのエボーシュ、粗略画としてのエボーシュ、そして[url=http://remove.jugem.jp/?cid=46]抽象画[/url]としてのエボーシュを、「エボーシュ」としてタイトルづけするものと、タイトルにエボーシュを付け加えるものとを、それぞれのエボーシュの主題にそって、命名していたのではないだろうか。



モローのエボーシュは、つまるところ、具体的な要素が形成されていないということだ。

作品のサロメは、まるで「エボーシュ」のように、曖昧な形態の愛。サロメに登場するそれぞれの人物も、曖昧な愛から、歪んだ不純の室を生み、育ち、破滅する。

1876年にサロン出品となった「出現」は、斬首されたヨハネの首の幻影が、サロメを脅かす作品である。

隠岐由紀子女史の解説によると、「出現」(油彩)において、モローは未完成の効果を狙ったとある。線描と色彩を剥離し、さらに線描のみのモチーフは、未完成な魅力があるという。僕も未完ながら、独立した作品と感じてしまう。

さらに隠岐由紀子女史は、象徴派デカダンスのバイブル書である、ジョリ・カルル・ユイスマン作(澁澤龍彦 訳) 「Against the Grain (a Rebours) さかしま」から、「出現」(水彩)に関する次の一節を引用している。

「いかなる時代にも、水彩画がこれほど絢爛たる華やかさに達したことはない。(略)織物や肉体の豪奢をこれほど奇跡的にかつ眩惑的に誇示したこともない。」

「(略)腿には巨大な瓔珞がまといつき、石榴石やエメラルドを川のように引きずっている。最後に、胸当てと帯のあいだに見える素肌の腹は、臍のくぼみを刻んで大きく張り出している。臍の孔は、乳色と薔薇色の縞瑪瑙を彫り刻んだ小さな印章のようだ」
「さかしま」のアーサー・ツァイデンバーグの挿絵も、デカダンスを感じさせるアールデコ調で、主人公デ・ゼッサントの嗜好を象徴している。隠遁生活を回顧する物語だが、ある日、モローのサロメをみて、「正真正銘の女。火のように激しい残酷な女の気質そのものに従う。涜聖の臥床に芽生え、不純の室に育ち、男の意思をいっそう確実に魅惑し馴致するのである」と慄く。サロメもデ・ゼッサントも、性倒錯を象徴する、烈しいヒロイン、無力なヒーローかもしれない。

モロー曰く「軽やかで不吉な小鳥のような永遠の女性」としているではないか。淫蕩の化身なのである。サロメという女は。男を破滅させるファム・ファタルだが、自分自身も破滅してしまうのだ。

ギュスターヴ・モロー 関連記事
ギュスターブ・モロー サロメ
「エチュード(習作) サロメ」(部分)
「ジョン=バプティストの斬首」/「サロメ」
「エチュード サロメ/レダ」(部分)
「エチュード ジョン=バプティストの斬首のサロメ」
ギュスターブ・モロー 6枚のサロメ
ギュスターヴ・モロー 「サロメ」年代不詳
「大皿にのせたバプテスマのヨハネの頭をはこぶサロメ」(個人所蔵)
「サロメの舞踏」 1876年頃 水彩 メナード美術館所蔵
「踊るサロメ」(刺青のサロメ) 1876年頃 モロー美術館
「踊るサロメ」 1886年 水彩 ルーブル美術館
「ヘロデ王の前で踊るサロメ」 1876年 モロー美術館

ギュスターヴ・モロー サロメ
「サロメ」1875年 モロー美術館所蔵
「ヘロデ王の前で踊るサロメ」 1876年 アーマンド・ハマー所蔵
「出現」1876年 水彩 ルーブル美術館所蔵
「出現」1876年 油彩 モロー美術館所蔵
「牢獄のサロメ」東京国立西洋美術館
「サロメ」 年代不詳 モロー美術館
「サロメの舞踏」年代不詳 モロー美術館
「庭園のサロメ」1878 個人蔵

ギュスターヴ・モロー 多翼祭壇画「人類の生」10画
KAFKA ギュスターヴ・モロー 多翼祭壇画から
「アダム:金の時代・星・陶酔」、「アダム:金の時代・夜・眠り」
「ヘシオドスとオルフェウス(オルフェ):銀の時代・夜・嘆き」

ギュスターヴ・モロー 歌舞伎役者/「詩人と聖女」
ギュスターヴ・モロー 「歌舞伎の女形二人」
ガラテアイアソンとメディアアフロディテ


コメント(0)| Track back(3) | 2007-02-27

パウル・クレー

作品は、「風景」(1899年)、おなじく「風景」(1914年)である。1899年のパウル・クレーは、バイオリン奏者から画家を目指し、ミュンヘンで暮らしていた頃。翌年のミュンヘン・アカデミーで、ワシリー・カンディンスキー(ヴァシリー・カンディンスキー)と知り合う。34歳のこと。

1911年には、カンディンスキーとフランツ・マルクが創立した、「青騎士年鑑」の編集にかかわり、1914年では、カンディンスキーやマルクをはじめ、ドイツの前衛芸術家たちとの交流を深めたころ。その友人の一人、アウグスト・マッケが戦死した年でもある。

「青騎士年鑑」編集メンバー
ワシリー・カンディンスキー/フランツ・マルク/パウル・クレー/ガブリエレ・ミュンター
アウグスト・マッケ/アレクセイ・ヤウレンスキー (KAFKA)/ハインリヒ・カンペンドンク/リオネル(ライオネル)・ファイニンガー


左が「with the red x」(1914年)。1914年は、マッケが戦場に行く前に、マッケ、ルイ・モワイエと、北アフリカのチュニジアへ旅を共にする。そして「twittering machine(さえずり機械)」(1922年)。この「さえずり機械」(NY近代美術館)は、線描の技法が活きている。

「色は、私を永遠にとらえた。私と色は一体である。---これぞ幸福なひと時ではなくてなんであろうか。私は絵描きなのだ。」

この旅が、パウル・クレーの色彩と線描、詩的な情緒と、そして画家として「開眼」したのだ。この体験が顕著にあらわれている作品が、「赤と白の円蓋(丸屋根)」(1914年)といわれている。この年から1922年の作品「さえずり機械」までの間、マッケやマルクが戦死した、第一次世界大戦のドイツ軍に召集され、1919年に復員する。翌年からワイマールのバウハウス時代がはじまる。


「Errand boy」(1934年)、「In the Magic Mirror」(1934年)だが、おつかいの坊や、マジックミラー(シカゴ美術館所蔵)などという面白い作品だ。1928年から29年とエジプトに小旅行。過渡期的な作品も多い。1931年にデッサウのバウハウスを辞職。作品は、デュッセルドルフの美術学校の教授をしていた頃。この2点は、パウル・クレーの作品で気に入っているもの。線描、色彩、構図に、クレーの技法が活きており、かつ押し付けがましくない。マジックミラーは、正面と横顔が、ひとつの顔からみえる作品。いわゆる点、線、面、色彩は、この二作品からもうかがえる。

この作品の翌年、難病 皮膚硬化症にかかる。このため手が動かないことがあり、白い画用紙に黒線の天使の作品は、この症状が悪化した時期のもの。谷川俊太郎著作の「クレーの天使」は、この天使を詩集にしたものだ。「忘れっぽい天使」、「泣いている天使」、「鈴をつけた天使」、「希望に満ちた天使」、「おませな天使」、「天使というよりむしろ鳥」、「ミス・エンジェル」などがある。油彩では、「大天使」(1938年 レンバッハハウス美術館)、「哀れな天使」(1939年 プライベートコレクション)がある。


「Arab Song(アラブの歌)」(1932年)、「New Harmony(ニュー・ハーモニー、新しい調和)」(1936年)。アラブの歌は、紙や布を使うコラージュ。幾度か訪れているエジプト。ニュー・ハーモニーは、色にも音にもハーモニー(調和)がある。クレーは、音の画家、色の画家、旅の画家、造形の画家だ。音といえば、音楽に関するタイトルの作品も多い。「バッハのスタイルで」(1919年 ハーグ市立美術館)、「バイエルンのドン・ジョバンニ」(1919年 ソロモン・R・グッゲンハイム美術)、「高いC音の勲章」(1921年 ペンローズ・コレクション)などがある。


「Intention(意志)」(1938年)の作品。この邦題が定かではない。「意志」、「新生」とも邦訳できる。この作品に描かれていのは、まるでエジプトのヒエログリフ(古代 聖刻文字)のようだ。きっとクレーの音楽言語だ。クレーは詩文学にも造詣が深い。オペラなどの題材もある。「ホフマン風の童話風景」(1921年 ベルン美術館)、「喜歌劇『船乗りシンドバッド』戦いのシーン」(1923年 ハンブルク美術館)など。

死の前年には1200点以上描き、生涯にわたり10,000点近く作品を残している。ベルンの「 ツェントルム・パウル・クレー(パウル・クレー・センター)」には、4000点ほど所蔵されている。

1940年、クレー最後の展覧会となった。死の天使と題したクレーの展覧会。この年、60歳だった。

Einst werde ich liegen im Nirgend
Bei einem Engel Irgend

何処にあるというのだろう
それでも 私はいつか
天使のもとで横たわるだろう

作品「哀れな天使」より

コメント(0)| Track back(10) | 2007-01-15